起業してから早30数年 その2

その仕組みはこうだ。

まず、法人を友人名義で設立する、その法人の筆頭株主になる→友人がCEOに就任する→私は無給のボランティアとしてその法人の仕事を手伝う⇄必要に応じてその友人からお金を借りる→年度末にその法人がら配当金を貰う→友人に借りたお金を返す。

注)この図は単なるイメージです。

法的にはこれで問題ないとの弁護士の助言だったので、早速、今度は日本でいうところの税務署、国税局、IRS(internal revenue service) に行き、本当に大丈夫なのか確認することにした。

すると、税法上も問題はないとの返答だった。移民局はどうか。

そこにも聞きに行ったが問題はないとの返答だった。

それはそうだ。法的に私は有償の労働は一切していないのだから。一資本家としての報酬を得ることはなんら問題ないのだから。ただし、もちろんこれは自分の考えるビジネスが成り立たなければ1セントにもならないし、売り上げが立ってさらに入金があるまで、しかもそれから株式配当の日までは文字通り”無報酬のボランティア”な訳だ。つまり成功させ、且つ耐える力があればできる方法ではある。

結構きつかったなあ

設立費用は?

会社設立に要するお金は資本金1,000ドルと登記料並びに弁護士手数料の1500ドルの合わせて2500ドルだけ。当時の日本円で約35万円ほど。掻き集めればなんとかなる額だった。

やればできる!

こうして株式会社NKLの前身であるK&L Motion Picture Equipment Purchasing, incは産声を上げた。

ちなみに、K&LのKはKarubeのK、Lはその友人、Lester Lattaile のL,だった。ちなみにNK特機はNikkatsu(日活)のNと Karube(軽部)のKであったと聞いていることも加筆しておく。

ー続く

起業してから早30数年 その1

厳密に言うと起業は1988年だから33年だが、社長になったのは帰国してからだから27〜8年か、会社のサイトに書いてあるのとは少し違うけどその辺りはうろ覚えだ。なにせその頃は必死だったから”いつ”とかを考えている暇さえなかった。

そんなことを思い出すほどの余裕はずっと後になってからだった。まあとにかくなぜ創業年と社長就任の年が違うのかと言うとその理由は当時の私を取り巻く環境がそうだったからだ。

当時、私はアメリカに留学していた。起業は留学中に行ったからだった。


留学中ということは学生であり当然ビサは学生ビサ。つまり就労してしまうと不法滞在になってしまい下手をすれば強制送還になってしまう。

なので、私は起業するにあたり知り合いの弁護士に幾度となく相談をし、合法的に起業し、そして働くことのできるその仕組みを模索した。

アメリカでの起業の仕方や、なぜ起業したのかについては今度どこかでまた詳しく書きたいと思うので今回は割愛する。

とにかくその仕組みとはこうだった。

ー続く