マニアな映像機材の今昔話 その2

当時のアメリカ、とりわけハリウッドは撮影技術においての一つの過渡期を迎えていたと思う。

カメラは長い間一強と言われていたPanavisionに対抗するArriflexが出てきて、照明機材もタングステンからHMIにどんどん変わっていった。

クレーンなどの大きな機材もメイドインアメリカなMatthewsに対抗できうるメーカーがオランダから虎視眈々とアメリカ市場を狙っていた。Egripmentだ。

メカニカルドリーにもその潮流は及んでいた。強気のリースでしか自社製品を扱わせないのはPanavisionのお箱ではなかった。ドリーメーカーのChapmanもその仕組みを使って全国展開をしていた。

しかしその市場にもヨーロッパの波は押し寄せていた。ドイツのPanther社だ。Chapmanの油圧式ドリーに対して当時の先端技術であるコンピューターを搭載した空気圧式ドリーだ。

そう簡単にハリウッドの技術者たちは新しいものに移行はしなかった。それこそ大きいもの、重いもの、頑丈なもの、シンプルなものが正義のアメリカ出会ったがゆえにヨーロッパ勢は苦戦した。

しかし、ヨーロッパに意外によく似た構造を持つ日本はこれに大変興味を持った。

そのあたりから欧米混戦のまま日本の撮影技術は大きく転換して行くことになる。

ー続く

これからの君達へ

カメラ周りを覚える、照明周りを覚える、音声周りを覚える、すると特機がどう動けばより良いのかが見えてくる。

「〜周りを覚える」、は机上の勉強だけでは全く足りない。

やはり現場で見て触って動いて見なければ本質がわからない。

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日々の失敗は本当にいい勉強になっているはずだ。次に生かしてこそ。

そしてリアルな現場をどんどん踏んでいってほしい。